日常の4月8日を

今日は夫の誕生日。
4月8日お釈迦さまと同じ。
この日を選んで生まれてきたような
印象を受けるエピソードが多々あります。
40歳を迎えるに当たり
昨日子どもたちがパパの誕生日を
どう祝うのか話していると
「〇〇とキックボクシングに行く
約束をしたから〜」と。
キックボクシング=息子も習っているので、
お休みにはならない、
ということになります。
そうなると帰宅は23時を過ぎ。
息子が
「40歳だよ? えっ、いいの?」
みたいに尋ねると
「うん、40歳だけど。」
それがどうした?
みたいな返答で拍子抜けしている
息子でした。
息子は、
キリのいい数字から節目なのじゃないの?
だから、いつもの誕生日より特別扱い♪
との想いがあるのでしょうが、
当の本人はどうでもいいこと。
でも
夫自身は友達や仕事関係の人の
誕生日は忘れず
きちんとお祝いしています。
毎月何かしら誕生日プレゼントを買いに
出かけているので
よく忘れないなぁと感心します。
私自身は誕生日を祝われるのは苦手で
でも忘れられるはちと寂しい
面倒くさいタイプなのですが、
ここのところ1年前が
先週くらいに感じられるので
お祝いごとが
あれ? この前したばっかりのような
新鮮味がないといいますか、
それよりも、
今興味あることに時間を使いたい。
そう思うのです。
生まれた瞬間に死に向かい始める。
お釈迦様は死後の世界を説いていると
誤解をされがちですか、
生きている間のことを説いています。
生まれたことは感謝だが、
過ぎ去りしことは置いといて、
今日という日常の4月8日を生きる。
節目節目にこだらず、
無理に感慨ぶらない。
自分の誕生日は自分で
使いたいのでしょう。
なので、その興味が
友人とのキックボクシング
なのだと思います。
いってらっしゃい〜!